軽くて薄くて重い
ぼくの人との関わり方をこうたろう(仮名)にベーゴマみたいだと例えられたことがある。
ぐるぐる回って、最初はとんとんっ、と軽くぶつかって何回かくっついたり離れたりを繰り返しながら、ある一定の段階でばちん!とぶつかってはじけて、どこか遠くへいってしまう。
なるほどなあ、と思った。
こうたろうは続けて、
「ようすけは軽くて薄くて重いんだ」
と言っていて、そっかあとぼくは返した。
軽くて薄い。
たしかにぼくは、よく軽薄だと言われることがある。
人との最初の、とっかかりの関わり方がラフで、「まあ仲良くしよ!」みたいなスタンスでいて、とにかく仲良くする人は多ければ多いほどいいと思っているから、たしかに軽いのは間違いないのかもしれない。
ぼくの言葉は薄い。
言葉を大事に使わないで、たくさんしゃべって、とにかく量でせめたてることがあって、そこに質量を伴わないから、薄っぺらいなあと思われることがある。
ばーーーーって言葉が次から次へと出てくるぶん、本当らしさがなくて、重みがなくて、それっぽいことばかり言うのが得意になってしまったから、こいつはないがしろにしていい人間なんだと思われることが多くなった気がする。
そしてぼくは重い。
人と一度関わるとしつこくて、考えすぎて、もっと深くなろうとしてきて、その関わり方がどんどん重くなってくる。
この軽くて薄口のカルピスなら毎日飲んでも別にいいわ〜、おいしい〜って思っていたのに、じょじょに濃い目になっていって、気づいたときには口当たりが重すぎて、
「飽きた、こんな濃いカルピスもう飲みたくない」
ってなるような感じなのだろう。
軽くて薄くて重い。
この矛盾を抱えたまま、ぼくは生き続けている。
ややこしくてしかたがなくて、めんどくさくてたまらない。
一緒にいると、たぶん疲れてしまうのだと思う。
その落差に、どんどんしんどくなってしまう。
そうしてぐるぐると回ったべーコマは、互いにぶつかりあって、はじかれて、とまる。
ベーゴマとはなんとも的確な表現だなあ、とぼくは思った。
ぼくはだれかを、傷つけたくてたまらないのかもしれない。
ぐるぐると回り続けて、はじきとばして。
人の感情が好き。
その気持ちがきっと、いびつな形をしていて、ぼくを軽くて薄くて、そして重くしてしまっているのかもしれない。
関わりたいと思えば思うほど、心の難しさにふれて、どうしようもなく苦しくて、うれしくて、悩めることにまた、喜びを見出しているのかもしれなかった。
たまに泣きたくなるのは、気の所為なのかもしれなかった。
ぼくと関わってくれる人には、これからもこの矛盾に付き合わせて、しんどい思いをさせるだろう。
だから先に言っておこうと思う。
海よりも深い、ごめん。
そして宇宙よりも広い、ありがとう。
あじがどう。